日本農業遺産 埼玉の農業 ため池防災支援システム

こんにちは!

ホッキョクです。

今回のテーマは日本農業遺産についてです。

皆さんは、日本農業遺産を知っていますか?

おそらく、農業に関わっていらっしゃらない方々には聞き馴染みのないものではないでしょうか。

そんな日本農業遺産について知ってもらいたい、農業について知ってもらいたいと思い、今回のテーマにしました。

目次

日本農業遺産とは

日本農業遺産とは、社会や環境に適応しながら何世代にもわたり継承されてきた独自性のある伝統的な農林水産業と、それに密接に関わって生まれた文化、ランドスケープ及びシースケープ、農業生物多様性などが相互に関連して一体となった、我が国において重要な伝統的農林水産業を営む地域(農林水産業システム)であり、農林水産大臣によって認定されます。

引用:農林水産省HP

つまり、農業における日本版の世界遺産のようなものです。登録されることで認知され、さらなる保全や継承に生かされれやすくなると思われます。

日本農業遺産は、現在、24地域が登録されています。(令和5年1月現在)

埼玉県比企丘陵地域 比企丘陵の天水を利用した谷津沼農業システム

登録されている日本農業遺産の中で、今回は、埼玉県の比企丘陵地域の事例をご紹介します。

この農業遺産は令和5年に登録されたもので、最も最近に登録された、登録されたてのものです。

私、ホッキョクは、この地域に住んでいたので、ぜひこちらを紹介したいと思い、選びました。

【概要】

申請地は、埼玉県の中央部に位置する「比企丘陵地域」である。武蔵野の原風景を今に伝える首都圏有数の里山として知られる。

1)「ため池かんがい」が基礎

当丘陵地域には、ヤツデの葉の如く「谷津(やつ)」地形が高密度に連続して分布している。古来、この特徴的な地域を活かし「ため池かんがい」を採用してきたが、気候的な水不足を補うことが目的ではなく、地理的に河川から水を引くことが難しかったことによる。

その開発は古墳時代にまで遡る。国内最古のため池「狭山池(大阪府狭山市)」は西暦616年の構築であることが知られているが、当時のため池は古墳の構築に通じる土木技術であり、これら最新の文化の伝播には渡来人や仏教が深く関わっていたこと等から考えても無理はない。地域内には、初期古墳や横穴墓の他、東日本最古の古代寺院「寺谷廃寺」をはじめ仏教関連の遺跡や遺物が多く知られている。

「ため池かんがい」を基盤とする当地の農業システムは、用水確保における地形的マイナスをプラスに転じる画期的なものであった。人力による開発ゆえ、地域を網羅するシステムの完成には千年もの歳月を要したが、緩やかな丘陵地の「高低差」と、高所から低所へと流れる「水の自然流化作用」に着目した、シンプルで完成度の高い「省エネ水供給システム」は、その基本的な仕組みを変えることなく今日まで受け継がれている。

2)基本単位は「谷津」にある

「谷津沼農業」の基本単位は、丘陵地域に分布する一つひとつの「谷津」にある。その基本的な構成は、①谷津沼、②水路、③谷津田、④(集水範囲の)斜面林である。これに、眼下に谷津田を望む丘陵斜面の畑や屋敷(=農家住宅)が加わり、特徴的な谷津の景観をしめている。

4)水源の「天水」の「省エネ水供給システム」

当地域の最大の特徴は、「天水を唯一の水源とするため池群」が今なお首都近郊の里山を守る農業システムの核として機能している点にある。

当地では河川からの引水が困難な地形的制約の下、一貫して天水のみを水源としている。

城内のため池は下流部の谷津田での水需要を賄うべく、それぞれが一体的に開発・整備されてきた経緯から、地形的にも構造的にも独立しており、その集合体としてのため池群も水系的に独立し、閉鎖性の強い環境を維持している。当比企丘陵全体の貯水能力(約1485万トン)を考慮すると、生物多様性保全や都市防災など、農地の有する多面的機能の点からも重要性が増している。

5)持続可能な農業システム

人が関わらなくなったことで荒廃する里山が多い中、「ため池かんがい」を農業の基盤とする当地域では、時代の要請や変化に対応しつつ、絶えず自然との無理のない関わり方を模索してきた。

引用:農林水産省HP(一部抜粋)

【用語解説】

・ため池かんがい:雨水を溜めておく貯水池

・ヤツデ:高さ2〜5メートルほどの常緑低木、葉の形が八つに分かれている。

・天水:雨水

【補足】

比企丘陵地域は地理的に河川よりも少し標高の高い地域になります。そのため、河川から水を引くことができません。また、雨水だけで稲作を行うのは困難です。稲作には多くの水が必要であり、雨が降らない期間が長く続けば水不足になり、稲の生育に影響が出てしまいます。そのため、ため池で雨水を溜めておくことで、雨が降らない期間があっても、ため池の水を使い、稲作をすることができます。

里山ではため池の水を生活用水で使用したり、防災用水として使用することもあります。野菜や洗濯物を用水路で洗ったり、火災の際には消防車の消火用水として用いられることもあります。

一般的なため池(貯水池)は主に河川の氾濫防止のために、川の水位が高くなったときに水を貯めるために用いられるケースが多いですが、比企丘陵地域のため池は雨水を溜めておくところが他のため池と大きく異なる点です。

このように、丘陵地域や里山ではため池が生活に密接に結びついています。

現代の私たちが学ぶこと、やっていくこと

比企丘陵地域のため池の構造は1000年以上前にはすでにあったとされています。当時の人たちは水のない地域だから稲作や農業をやらないではなく、この地域でどう稲作や農業をやるかを考え、試行錯誤を重ね、諦めずにやり遂げたことでこのようなため池の構造が構築されたのではないかと考えます。

通常、稲作は平野部で行われます。川から水を汲み、農業用水として水田で使用します。平野部かつ川のそばであれば、水には困らず、平野部では水田の区画を大きくできるため、機械を使って田植えや収穫を行うことが出来ます。現在の日本は、米の産地である新潟県、秋田県、北海道などの平野部で盛んに稲作が行われています。

しかし、通常のやり方では稲作は平野部でしか出来ません。そのため、丘陵地域や山間部の人たちは別の方法を模索したと思います。その解決策が今回ご紹介した谷津沼農業システムであったり、棚田などになります。平野部で農業をするのが一番効率が良いですが、丘陵地域や山間部に住む人たちにも生活があり、その地域で農業をやる必要がありました。現在の日本のように流通や交通網が整備されていない時代にはなおさら、自分たちで食べるものは自分たちで作る、地産地消をする必要がありました。地域の方たちが知恵や試行錯誤を重ね、稲作に向かない地域であっても、稲作ができるようになったのではないかと考えます。

このように当時のその地域の方たちが生み出した地域に根付いた方法を伝承、継承していく必要があると考えます。現在の日本では地方の過疎化が進み、人口が減っているため、伝承や継承が途切れてしまう可能性もあります。その地域に根付いた農業を守っていくためにも、日本農業遺産は必要なものであり、他の地域の方に知ってもらえるものでもあります。

日本農業遺産の他にも、さまざまな方法があります。現代の日本、世界ではネットが普及し、どこにいても連絡をたったり、調べたりできるようになりました。過疎化、人口減少が進む今だからこそ、ネットを使って地域の農業、文化を伝承継承していくことも可能なのではないでしょうか。伝承継承だけでなく、私たちが新しい農業、文化を作っていく、1000年以上前の方たちのように試行錯誤し、新たなものを作っていくことも可能なのではないかと思います。

話が大きくなりましたが、私たちがやるべきなのは、先人の人たちから学ぶこと、そしてそれを生かしていき、新たなものを作っていくことではないかと思います。

最後までご覧いただき、ありがとうございました。

農業について興味を持っていただけた方が少しでも多くなればと思います。

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